デジタルネイティブ世代がつくる社会になった時の物質性と身体性を求めて【デジタルネイティブと社会#3】

デジタルネイティブという世代がブームだ。Z世代っていうのは今やバズワードで、色々な解釈と使われ方があるなと当事者としてみて思っている。たしかにこういう切り口によって若者の露出や権利が向上するのは、若者に不利なこの国(人口分布的に贖えない団塊世代との力の差)にとっては朗報なのかもしれない。

とはいえだ、デジタルネイティブ世代が作る社会は万能ではないし希望に満ち溢れているわけでもないと僕は思っている。むしろ実態は悲劇的ですらある。

デジタルネイティブ、デジタルが当たり前になった世代が社会の中心を作っていく中で、二つの要因により社会の中から物質性と身体性が失われて行く社会を僕は予見している。それは技術革新と歪な人口分布と低成長社会によって貧しくなった若者世代によって引き起こされる。身体性と物質性が失われていく社会とは、モノが必要ない世界。デジタル上でのモノというデータが中心となった社会や、身体が必要なくなった社会、メタバースなどによる身体的な娯楽が限りなくデジタル上で再現できるようになった社会。今日はこのデジタルネイティブ世代によって牽引される世界の未来について考えていきたいと思う。

どうしてデジタルネイティブ世代が作る社会から物質性と身体性が失われていくか。これを考えた時にまず第1の要因としてあるのは、技術革新と資本主義によってデジタルで全てが置き換えられた社会の到来がここ数年で実現性を帯びているということだ。資本主義というのはフロンティアがなければ原則的には詰みなゲームで、シリコンバレーのイノベーションはそろそろ、技術そのものいわゆるiPhoneの次のデバイスを生み出し、成長していかないといけないフェーズに入っていると僕は思っている。

つまり、Facebookがメタバース企業を目指しMicrosoftが法人向けメタバースで覇権を取ろうとしているこの現状は、iPhone以来のデバイスそのものデバイスを支える技術全体の革新をシリコンバレーとその投資家たちは求めているということの現れだ。OculusのようなVRデバイスが日常生活に必須になる未来を投資家たちは望んでおりその先にはメタバース的な今まで人類が社会生活を営んでいた現象のほとんどをデジタルツールによって再現した世界の実用化が見えている。

すでに技術的には可能なものがたくさんある中で(ブロックチェーンとかVRとか、AIロボットとか)あとはそれらを実装する段階まで来ているのだと思う。きっとOculusが標準装備になる時代は来そうだし、Officeが文字通りのバーチャルオフィスとなって未来の会社はVR空間になる未来はあながち遠くないと思う。

そう考えた時に、デジタルネイティブ世代が中心となるここ30年で、物質性との訣別や身体性の拡張なんかはリアルなものとしてみえてくる。

その世界で人は、果たして人と呼べるのだろうか。人というデータというものに置き換えられるのだろうか。妙なSFの設定が現実味を持って僕らのそばまで来てるその扉を開くのはおそらくデジタルネイティブ、言い方を変えるとデジタル以外知らない世代なのだと思う。

もう一つの要因はこれは特に日本では顕著だが、モノをもつにはデジタルネイティブ世代の賃金状況や資本が少ないということだ。先進国全般でこの先、昔のような2桁成長は望めなくなってくる中でデジタルネイティブ世代は昔のX 世代のようには物を買うお金自体がない、豊かではないという現状は先ほど述べたシリコンバレーのメタバース技術にとって絶好のニーズになる。先程僕はSFの扉を開くのはデジタルネイティブ世代だと言ったが、開くというより開かないと豊かさを享受できない、モノを持つには金が足りないし、持っても置く場所もないし、生きててもつまらないし、だから、アナログを捨ててデジタルに生きるという感じだ。ヨルシカの「だから僕は音楽を辞めた」は、いい意味で若者世代の絶望を表している。

もうすでにその現象はコロナで加速しているように思える。音楽をサブスクで聴いて、オンラインライブで楽しめた世代はライブやフェスに参戦する金がない場合は無料配信をしてくれと今後もアーティストに求めるだろうし、オンラインイベントで家にいて面白い話を聞けることに慣れた世代は、今後オンライン対応してないイベントやセミナーに行くのをめんどくさいと感じるのかもしれない。すでに教育の現場ではそういう動きは大きく、実際大学の授業に関して言えばオンラインで半分は代替えできるのでは?と思ってる同年代は多いはずだ。

この若者の貧困はデジタル化と相性が良すぎる。デジタルになればかかるコストが低いことを知ってしまった若者世代が、これからコロナが終わりデジタル化しない業界や仕事やコンテンツに何を感じるか答えは明確だ。

以上書いていて、この物質性と身体性が失われてしまう社会の構図は、デジタル化をあらゆる場面において我々が、やむを得ず進めねばならないということの表れなような気がしている。

我々が社会制度の設計に失敗し、資本主義による拡大志向と、人口分布による若者層の貧困を放置しておいたことにより人類は物質性と身体性を代償として払わなくてはいけないのかもしれない。

それは、本当にいいことなのだろうか。

もちろんこのコラムは、細かな数値に基づいた検証を行なっている物では無いため必ずしもこのような未来になるとは限らない、がこうなる可能性はあり得る。若者が貧しいということは国が将来貧しくなることと同義であるし、それは人類全体の可能性が減ることを意味する。

資本主義は人類にとって最適な拡大を志向するとは限らないため人類にとって何かしらの不利益を伴う技術革新が起こる可能性は大いにある。

そのリスクを受け止めつつ、見ていかなくてはいけない。この世の中は、袋小路に入りかけてるのかもしれない。そんなことを若者が心配している時点でだいぶ、辛い社会なのだが、僕らの代でそれを終わらせるしかない。

未来の若者の不利益を自分たち世代がなんとかして止めなくてはいけない。誰かがやってくれるだろうでは誰もやってくれない。人類全体のことを考える人なんていない。だから考えた人間が死ぬ気で動かなくてはいけない。そう、僕は考えている。そのためにやることをやるしかないのだ。

種市慎太郎
PROFILE_

種市慎太郎 / ライター

SENSE:D プロデューサー

2001 年生まれ、立命館慶祥高校卒。IRENKA KOTAN合同会社代表。
学生時代から札幌でクリエイター支援の学生団体を設立し活動。2020年4月より現職。高校生向け起業教育事業「START U-18」のプロデューサーや北海道のテックコミュニティ「未完project」のプロデューサーなど、様々なコミュニティやクリエイター支援のプロジェクトのプロデューサーを務める。

SENSE:DRIVE

デジタルネイティブの視点の発信をテーマにリサーチやコラムをデジタルネイティブ視点で配信していく探究プロジェクトです。

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