「思想」を持つということについて考えてみた

SENSE:Dでコラムを書き続けて3回目の記事。

前回の記事は「STARWARSの世界を作るために僕はソフトウェアのものづくりをはじめました」で僕の大好きなSTARWARSの話を書きました。と言ってもそんなにSTARWARSのことは触れてないんだけどね。いつかちゃんとSTARWARSをディグりたいなとかは思う。

さて、今回は「思想」について最近少し考えていたことを書こうかなと。

最近は、思想を持った方がいい。もっというと持たなきゃいけないみたいな強迫観念があると思ってるんだけど、そもそも持った方がいいのかって話と持とうと思ったらどうするのが良いんだろうねという話。

先に補足をしておくんだけど僕は強い思想を持って生きているつもりがなかった。この記事を書こうと思ったのは7月末だったんだけど、その時はあまり思想の強くない人としてこの記事を書くつもりだった。ただ、そこから1ヶ月間の間、強いかどうかはわからないけど意外と自分は思想をしっかり持っているなと気づいたので心境の変化が大きい中書いた文章というところは伝えておく。

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そもそも思想って何だろう。

【思想】

心に思い浮かんだこと。考え。特に、生活の中に生まれ、その生活・行動を支配する、ものの見方。

 「―・信条の自由」

引用: Oxford Languages and Google

多分僕が普段使う思想という言葉の意味は、生活・行動を支配する、ものの見方。

最近ここでいう思想に近いものを持つことを良いとされているよね。思想がはっきりしていてそれにむかって進むことができる人は評価を得ている気がする。起業したりとか自分のやりたいことをしたりする人が満ちているみたいな風潮あるよね。

例えば、2014年にYouTube Japanが「好きなことで、生きていく」っていう動画をアップロードしてたよなと。

ちなみにこの動画にも出ているHikakin本人が、「僕の仕事はYouTube」っていう書籍を出してる。

なんとなく僕はこのあたりから、固定された価値観に囚われず、自分たちの好きなことをやろう!といった流れができたかなと思ってる。ある種「意識高い系」って言葉で揶揄されていた人たちのことを指している気もする。

この意識高い系と呼ばれていた人たち、呼んでいた人たちの「意識」というのは「思想」なのかなと思ってる。彼らにとっての「生活・行動を支配する、ものの見方」としての「思想」。でも「思想」って言葉じゃなくて「社会を良くする」とか「平和を大事に」みたいなそういう言葉でおきかえられていた気もする。

この記事を書きながら、文科省の「平成29年度小・中学校新教育課程説明会(中央説明会)における文科省説明資料」を読んでたんだけど、教育分野でも似たようなことはあったんだなぁと思う。良い人間とは何か、それは社会や世界を良くしようと思っている人だ。そう思うことで実際に学びが良くなる!みたいな。これも「思想」だね。

実際にいいか悪いかはさておき、思想を持つことが良いとされているからこその強迫観念に近い感覚が特に僕ら世代を中心に生まれている気がする。

そんな流れとは対照的に「思想」を持たない、持てない人も表面化している人が出てきているように感じる。「思想」を持つほど自分は賢くないと思っている人、強い「思想」に対して拒否反応を示している人。「思想」を持つほど考えられてない人。僕の周りには多くの思想を持つ人がいると同時に、「思想」を持たない人もいたと思う。

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さてここから先は完全に個人の意見として話を進める。多分「思想」を持っていないという人はいなくて、強かれ弱かれみんな持っている。それを表にどのくらいの強度で出すのがいいのか分かりかねてるんだと思う。確かに自分もそう。割と思想ははっきりしていてすべきことも見えている。他人の思想を否定する気はさらさらないし、自分の思想を他人に強制しようとは思わない。でも自分の思想通りに動けば少なからず僕の信じる良い社会は来るんじゃないかなと思って影を潜めて生きている。

自分と同じように誰しも、思想を持っていて、実際には思想が表に出てきてないだけなんだと思う。思想が表に出てきていない人たちの「思想」を持ちたい、持った方が良いと思ってるというのは、持っている思想を表に出すことに納得感が得られていなかったり、表に出すことに悩んでいるんじゃないかなと思う。

じゃあどうやって「思想」を表に出すか。それでいくと僕は、自分の価値観と近くて強い思想の人にのっかるのがいいんじゃないかなと思っている。身の回りの「思想」が強い人を見つけてその人の「思想」に共感ができたら、まずはそれと一緒に生きてみるといいと思う。

そうするとしっくりこなさとか違和感が感じられると思う。違和感はその都度自分でその「思想」を考えながら自分に合う形を見つけていけば、それなりにちょうど良い形で収まるじゃないかなと思っている。

少なくとも今の自分はそうだと思う。それなりに自分の「思想」を持ちつつそれに縛られず生きている気がする。


ここで必要な話は「思想」を持つことの良し悪しだと思う。それでいうと持つのは大事。思想を持つことで行動に指針が生まれるし、その思想のために頑張れて思想が本当に意味のあるものか考え続けることで行動は良くなる思っている。だからこそ、思想がない、または表に出てない人が自分と近い思想の人をフォローするのは意味がある。でも、思想を持っている人がその「思想」を押し付けちゃダメだよねっていうところが僕個人の意見。

もう少し広い視点から見ると、「思想」を持つことで強い力を発揮して社会を変えた人がいることがいるのは確か。その結果が良いことも悪いこともあった。その結果が良い場合に世の中が前進する。と考えると思想を持つことは100悪いことではないよねと。失敗するリスクもあるけど世の中が良い方向に変わる可能性はある。

今回の記事を書いたのは自分が漠然と考えていたことを、せっかくならちゃんと文章にしようと思ったのがきっかけ。これをきっかけに似たようなことを考えている人に届いて、その人が悩んでいたらその人の思考の支えになればな〜と思っています!

西村 航
PROFILE_

西村 航 / ライター

クリエイティブディレクター

2002年生まれ。中学生の時からプログラミングをはじめ、高校生のときにWeb制作を中心としたクリエイティブ制作を行うチームKraftsmaNを創立。SENSE:DのWeb制作ディレクションを担当。

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