落語家・桂枝之進について【桂枝之進の温故創新#1】

よろしくお願いします。落語家の桂枝之進です。

普段は落語家をやっている傍ら、同世代のクリエイターと共に、落語の新しい可能性を探求する「Z落語」というクリエイティブチームを主宰し活動しています。

主宰とは言っても僕は落語しか出来ないのですが、デザイナーやカメラマン、エンジニアなど、才能を持った仲間に囲まれて、今までにない生態系が生まれています。

直近ではこの「Z落語」を法人化、合同会社rakugokaを設立し、より積極的にプロジェクトを進める構えです。

今では”Z世代の落語家”として取り上げて頂く機会も増えましたが、元を辿ればただ落語が好きだった幼少期から始まります。

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2001年、兵庫県神戸市で生まれた僕にとって、物心がついた頃から”正座”が一番楽な姿勢でした。

そんなわけないだろと思うのですが、洋式のリビングで椅子の上に正座してお新香をかじりながらテレビで相撲中継を見ていたそうで、家族からついたあだ名は「おじいちゃん」。

そんな子供だからきっと落語も好きだろうと、親に連れられ近所の市民ホールで開かれた落語会に行ったのが5歳の頃で。

初めて観る落語、というより目の前でおじさんが右向いて左向いて何か喋ってる光景。それはあまりにも衝撃的で、周りのお客さんがゲラゲラ笑うのにつられ、気づけばその場を楽しんでいました。

その日を境にラジオやテレビの落語番組を聴き漁り、定期的に落語会へ足を運ぶ、「落語好きおじいちゃん」が出来上がっていました。

小学校に上がってからも落語への熱が冷めることはなく、学校の図書室に置いてあった落語の速記本(台本のようなもの)を読むようになってからは、徐々に自分で落語を演じることに興味を持つようになっていきます。

学校の行き帰りで友達に聞かせたり、親戚の前で演っていたりしていると、次第次第に活動の場が広がり、気付いたら学生落語の全国大会やテレビ番組に呼ばれるなど、落語を介して社会との繋がりが出来ていきました。

自分は落語を演っているだけなのに、それがキッカケで新しい場所や環境に連れて行ってくれる、いつしか落語は自分の可能性を広げてくれる欠かせない存在となり、またその状態にいることに心地よさを感じていた僕は、小学校の卒業文集に「将来の夢:落語家」と書くまでになっていました。

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中学校に上がってからも落語へのエネルギーは加熱していき、早く落語家に弟子入りしプロになりたいと考えるようになりました。

しかし当時の落語界は、昔と違い中卒で弟子入りする人などほとんどおらず、本当に落語家になることが出来るのか分からない、フワフワした状態でもありました。

とにかく今しか出来ないことをやり尽くそうと、落語会にひたすら通い、自分の活動でも全国ツアーやポーランド・フランス公演を敢行し、映画・音楽・小説と触れられるだけのカルチャーに触れ、密度の濃い時間を過ごしていた中学生時代。

そして中学3年の冬、意を決して今の師匠である3代目桂枝三郎の門を叩きます。

このときの様子はよくインタビューでも喋っているのですが、寄席近くのスペインバルでローストビーフ丼を食べながらの弟子入り志願。

その日から僕は「桂枝之進」になりました。

それから弟子修業が始まるわけですが、当時15歳、社会人としてのマナーや立ち振る舞いも何も分からなかった僕には付いて行くのに必死の毎日で。

最初の一年はまさに無我夢中で過ぎて行き、2年目からは寄席の近くに家を借りて目の前の仕事に必死な毎日。あっという間に時間が過ぎていく中、ふとした瞬間自分の将来を考える機会がありました。

これから一生背負っていく落語家としての役割は何なのか、また自分の目指すべきベクトルはどこにあるのか、社会の中の職業としての落語家像を模索するようになりました。

落語家の中では最年少として取り上げてもらえるけれど、裏を返せば若い世代が極端に少ない現状、将来の落語界を描いたとき、同世代へのアプローチが急務であることは明確でした。

今まで落語に支えられた僕が、今度は落語界の未来にアクションを起こそうと、SNSでの発信や新世代的な立ち位置を意識した活動を始めました。

積極的なメディア露出や同世代向けのイベントなど、少しずつ活動の幅が広がると同時に、SNSを通じてそれぞれ何か肩書を持って戦ってる同世代と繋がる機会が増えてきました。

それは今まで落語ばかりやっていた僕にとっては刺激的で、領域は違ど切磋琢磨出来る仲間との出会い。

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それから東京へ出る度に、大阪に居る機会損失を埋めるべく沢山の予定で関係性を深め、利害関係を超える世代間のコミュニティが形成されていきました。

たまの東京往復を始めてからしばらく経った2020年3月、新型コロナウイルスが日本でも流行の兆しを見せ、落語界はいち早く自粛ムードが広がり自宅待機を余儀なくされました。

スケジュールは当面白紙、未曾有の事態に何をすることが正解か、はたまた正解を追うことが正解かすら分からない状況下、僕は一つの企画書を書き始めました。

それがのちのZ落語最初の企画となる5G落語会というプロジェクトです。

落語が持つ”間”が、オンライン上ではタイムラグが障壁となり表現に違和感が生まれる。そんな時に、5Gの技術を利用して落語の可能性を拡張させようという、どこから見ても今やるしかないものでした。

この企画書のビジュアルを完成させるため、自分では出来ないデザインを担当してくれる人をインスタのDMでゆる募したところ、同世代のデザイナー速水駿から手が上がりました。次いで映像ディレクターの大久保空、エンジニアの佐藤隆世に声を掛け、落語界の歴史上類を見ない”落語クリエイティブチーム”「Z落語」が始動しました。

Z落語が最初に出したnoteには、こう書いてあります。

Z落語とは
およそ400年前から受け継がれる落語を、
2020年、Z世代の視点で再定義し、発信する。
落語家とクリエイターがチームを組みました。

僕たちが目指す世界は、
Z世代が持つ多様なアイデンティティの中に、
ひとつまみの上質な文化を提供すること。

始発点の分からない流行も楽しいけど、
自分たちの中に覚える懐かしさや落ち着きを
いま見つけてみても良いかもしれない。

僕たちは世代観に根差したクリエイティブで、
今も昔も変わらない日常に気づき繋がる体験を
変わらぬために変わってゆくグラデーションを
変わり続ける渋谷の街から創って参ります。

よりどころのない時代に僕たちのシグナルで
見つけたり、思い出したりしてほしい。
皆さまとお会いするのを楽しみにしてます。

Z落語「Z落語ともうします。

こんなことを書きながら、変数的な部分を一番楽しみにしているのは、当人である僕だったりします。

5Gにおける落語の可能性を探求する実証実験に始まり、江戸時代には新しいカルチャーや交流の拠点であった落語の寄席にZ世代にとっての”寄席”であるクラブカルチャーをMIXしたイベント”YOSE”、AIに落語の台本を学習させ新しい落語を生み出す開発プロジェクトAI落語、日本文化をコンテキストに置いたアパレルブランドZuZuZuit!など、開始1年経たずしていくつもの企画が立ち上がり、チームを超えた同世代のクリエイターコミュニティに助けられながら進めることが出来ています。

世の中に新しい熱源を産み出し渦を巻く僕たちのクリエイティブで、さらなる可能性を信じていきたいと、この記事を書いている現在も沢山のプロジェクトが並行して進んでいます。

繰り返しになりますが、皆さんとお会い出来るのを楽しみにしています。

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これからこのSENSE:Dで始める僕の連載のテーマは「温故創新」。
これは僕が仕事をする上で一番大切にしているキーワードかも知れません。
変化の激しい世の中。読めない先を読むために、いつの時代も変わらない本質的な価値を考えます。
分からないって怖いけど、分からないことの中にこそ、新しい視点が見つかるものだと。
だから探求しましょう。みんなで渡れば怖くない。

(写真/桂枝之進、©︎SoumaNakanome)

桂 枝之進
PROFILE_

桂 枝之進 / ライター

2001年6月20日生まれ。5歳から落語を聴き始める。関西を拠点に寄席やイベント、メディア等で活動するほか、2020年、落語クリエイティブチーム「Z落語」を立ち上げ、渋谷を拠点にZ世代の視点で落語を再定義、発信するプロジェクトを主宰している。

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